
9月19日、ヤコちゃんは眠るように逝ってしまった。
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2018年9月27日
ありがとう ヤコちゃん

9月19日、ヤコちゃんは眠るように逝ってしまった。
昨年の秋ごろから、リュウマチで膝が痛くなり、車椅子に乗ったり、回復したりを繰り返し、外出が難しくなり、大好きだった句会や会合への出席ができなくなりました。
そんな中、東京医療センターでのレントゲン・MRI、またホームの担当医師の腫瘍マーカー(2種)による検査で、ほぼ肺がんであろうと診断されました。
原因をはっきりさせるべく、生体検査を勧められましたが、
本人曰く
「今更どうするのよ。知ったところで何もしないから。」と。
新薬があることを告げられ、治療の選択肢があったのですが、看護師さんとも相談し、
残りの人生の大半を病院で過ごすことは、
「イザキさんらしくない生き方になる 」
と結論を出しました。
ですから、その後もホームで気ままに楽しそうに過ごしていました。
19日、親戚、句友に見守られ、気づけば息をしていないというような穏やかな逝き方でした。
「点滴もカテーテルもつけていない最期は珍しく、幸せなことです」という看護師さんの言葉に、集まった者たちは慰められ、「末期の水」ならぬ「末期のウィスキー」では一同が微笑みました。
そんな中、東京医療センターでのレントゲン・MRI、またホームの担当医師の腫瘍マーカー(2種)による検査で、ほぼ肺がんであろうと診断されました。
原因をはっきりさせるべく、生体検査を勧められましたが、
本人曰く
「今更どうするのよ。知ったところで何もしないから。」と。
新薬があることを告げられ、治療の選択肢があったのですが、看護師さんとも相談し、
残りの人生の大半を病院で過ごすことは、
「イザキさんらしくない生き方になる 」
と結論を出しました。
ですから、その後もホームで気ままに楽しそうに過ごしていました。
19日、親戚、句友に見守られ、気づけば息をしていないというような穏やかな逝き方でした。
「点滴もカテーテルもつけていない最期は珍しく、幸せなことです」という看護師さんの言葉に、集まった者たちは慰められ、「末期の水」ならぬ「末期のウィスキー」では一同が微笑みました。
ヤコちゃんへ
ヤコちゃんに寄り添った数年間、大変だったけど楽しかったです。
生まれてこのかた、親戚の中で、「頼りになる洋ちゃん」の脇で、おまけのように生きてきました。
それが、嵒ちゃんの後見人の頃から、頼られる嬉しさを感じることができました。
多分、わがままなママのお世話より、よっぽど楽に充実感を味わうことができたでしょう。
亀山家の昔ばなしや本の話をしたり、また、愚痴を聞いてもらったり、
私にとって必要な時間が、ヤコちゃんのそばにいることで得られた気がします。
まだ、ヤコちゃんが逝ってしまったこと、夢の中のように感じられます。
それにまだまだやる事がいっぱいあって、「ヤコちゃんロス」の暇はないでしょうが、
いずれ、私は、この充実感から解放された寂しさを感じることでしょう。
ヤコちゃんが私に感じてくれた感謝の数倍の感謝を、ヤコちゃんに捧げます。
ありがとう。さようなら。
アキコ
ヤコちゃんに寄り添った数年間、大変だったけど楽しかったです。
生まれてこのかた、親戚の中で、「頼りになる洋ちゃん」の脇で、おまけのように生きてきました。
それが、嵒ちゃんの後見人の頃から、頼られる嬉しさを感じることができました。
多分、わがままなママのお世話より、よっぽど楽に充実感を味わうことができたでしょう。
亀山家の昔ばなしや本の話をしたり、また、愚痴を聞いてもらったり、
私にとって必要な時間が、ヤコちゃんのそばにいることで得られた気がします。
まだ、ヤコちゃんが逝ってしまったこと、夢の中のように感じられます。
それにまだまだやる事がいっぱいあって、「ヤコちゃんロス」の暇はないでしょうが、
いずれ、私は、この充実感から解放された寂しさを感じることでしょう。
ヤコちゃんが私に感じてくれた感謝の数倍の感謝を、ヤコちゃんに捧げます。
ありがとう。さようなら。
アキコ
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