こどもの子育て
~~~「嫌いじゃない夫」より~~~
「スヌはあなたがたにとって何?」
「おじさん(ママの弟)。他の人から見たらぬいぐるみだけどね。」
中三の娘も高二になる息子も真面目な顔で言う。
スヌは我が家にいるスヌーピーのぬいぐるみで、私が中二のとき家にやって来た。
私のぬいぐるみ好きは母親譲り。母の趣味から、スヌは私の弟として暮らした。
試験勉強、とくに暗記物はスヌとやった。スヌが問題を出し、私が答える。英語の会話文はスヌがA、私がBと読み分けた。
母と大学の合格発表を見にいった後の渋谷の東急本店では、セーラー服着てスヌを連れている私がいた。(さすがに大学構内には連れて行かなかったと思うが、覚えていない。)
「『アキ』って呼ぶでしょ。そうするとまずスヌが振り向いて、それからアキが振り向くのよ。」
後日母は、デパートでのスヌとスヌを抱いた私の情景を友達に嬉しそうに話していた。
スヌは母の亡くなった後も一人暮しの私を支えてくれた。悲しいときは大きな鼻で涙を拭ってくれ、うれしいときは耳を揺らして一緒に喜んでくれた。
結婚してからもパパと三人一緒に暮らしてきた。
スヌの存在をパパはこう見ている。
「結婚してスヌと喋っているのを見て、これは何かの代償なんだと思った。自分より上の人間から注意されたい、指導されたい、の思いが現れていた。ま、あのお父さんじゃそれもあり得るかってね。他のぬいぐるみとは違う。スヌは理性的なキャラクターを与えられ、父親より近い、父親のような存在として一緒に暮らしてきたのだろう。常に自分を叱咤激励する言葉を言わせていた。」

そんな中、私の子育ては始まった。
赤ん坊はベビーベッドの中で自分をあやしに来る白いふわふわした物体の、やさしい存在に気付いたただろう。そして常にそばにいる笑いかける目を心地よく感じただろう。
こどもが少し大きくなると、いうことを聞かなくなる。強い口調で叱りつけていると、スヌはやって来る。
「アキコちゃん、そんな言い方はないでしょう。」
「タクちゃんに『ごめんなさい』しようね。」
私は神妙にごめんなさいをする。
「ママが怒っているときはスヌちゃんがママをなだめて、お説教してくれる」
スヌはそういう存在。
幼稚園に行くようになると、こどもも知恵がまわる。怒ったまんまで興奮状態の私が、スヌが来るのを忘れていると、こどものうちどっちかが、黙ってスヌを私の目の前に差し出す。スヌが私をじっと見つめている格好で。私ははっと我にかえって、スヌの理性ある言葉に従う。この頃から私は、スヌの「正義」のまえで、ママの「非礼」や「理不尽」は絶対勝てないことをこどもに示すと意識した。
中学生になった息子に、パパの部屋で見つけたヘアヌード写真を面白がって見せたら、
「オレ、男だぜ。…スヌちゃぁん。」
「スヌちゃんに言いつけてやった。」
と言う。ママを非難するのを直接ではなく、スヌに言うことで表しているのだ。
勉強を教えるのはスヌの役目。スヌの声を出していると良い先生になれる。教科書を指差すスヌの手を見ると、視覚からもスヌのキャラクターが私の中でいっぱいになる。
そういえばそうだった、とこのことを思い出し、先日数学を教わりに来た娘に、久しぶりにスヌ先生で教えてみた。
「『ママ』の解き方だとさぁ…。」
娘が言う。スヌではなくてママ。娘にとってもうスヌは見えていない。でも私にはスヌは必要。スヌが教えるから、自分のしていたいこともおいといて、勉強をみる。スヌが教えるから、教えながら腹を立てることもない。
こどもたちは二人ともいままでのところ、反抗期なく過ごしてきた。こどもたち自身は
「反抗期、あったよ。」
とそれぞれに言うけど、ヨソで聞くような深刻なものとは思えない。
これはスヌのお陰。親が親の立場でものを言うとき、こどもがこどもの立場で主張する機会をこどもに代わり作ってきてくれた。親はこどもの前で言ったり、行動したりした後で、「しまった」と思っても引っ込みがつかなくなることがある。こどもにしてみれば「自分のことは棚に上げて…」というようなはっきりした表現はできないが、理不尽さは感じている。癇癪など行動で示しても解決にはならない。
子どもたちは小さい時から、「ママだって、間違う。」「ママだって、間違えば叱られる。」を見てきた。表現の未熟な子どもたちに「泣く」「怒る」ではない、「それ、ヘン!」のチャンスを与えたことになる。
子どもの「泣く」「怒る」は母親にとって大きなストレスになり、子どもとの良い環境を壊す原因になりかねない。知らず知らずのうちに、スヌのおかげでその原因がたくさん取り除かれてきたと思う。
大人に成りきれないまま親になってしまった私が、親らしい振る舞いができるように、スヌと二人三脚でやってきた。
なにもこれは、計算ずくでこどものために良かれと思ってやったのではない。私が一人でこどもを育てるのに不安があったから、ちょっとした遊び心でやっただけ。
こどもたちは知っている。スヌはママとは別の確立したキャラクターを持ちながら、それでもママであることを。

こどもは理性的でやさしい子に育った。
「スヌちゃんはおじさん。」
「スヌちゃんは保護者。」
でも、
「スヌちゃんはぬいぐるみ。」
そして私にとってスヌは…。
パパは私をよく観察している。パパは私が気付かなかった私とスヌの関係を明言してくれた。パパはやっぱり私の「パパ」。
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